古墳

稲荷山古墳・秋葉山古墳・経塚古墳跡

稲荷山古墳・秋葉山古墳・経塚古墳跡

連城寺の裏山は連城寺古墳群とよばれる二つの古墳から成り立ち、国の史跡に指定されています。

北側から稲荷山古墳(前方後円墳)、秋葉山古墳(円墳)、経塚古墳(明治19年の鉄道工事にて破壊され現在は存在しない)。過去にはもう一つ古墳があり四つの古墳が存在したとのことです。

稲荷山古墳

稲荷山古墳は直径47m、今から1650年前の前方後円墳です。古墳の周りからは壺の形をした埴輪(壺形埴輪)が見つかっています。

秋葉山古墳

秋葉山古墳は直径50m、今から1650年前の円墳です。土器の破片が見つかりました。

経塚古墳

経塚古墳は直径90m、今から1700年前の四世紀前半に造られた前方後円墳です。

明治19年の東海道線の鉄道工事により破壊されてしまいましたが、鉄道工事中に鏡が発見されました。この鏡は「日月日日銘 三角縁唐草文帯四神四獣鏡」とよばれるもので、県指定有形文化財第201号となっています。大和地方の古墳からも同じものが発掘されています。

連城寺古墳群まとめ

連城寺古墳群は調査の結果、地元の有力者の古墳であることがわかりました。

地元の有力者とは現在で例えるならば県庁所在地の市長といった地位でしょう。1700年前の日本は大和王権が全国統一に向かっていた時期ですから、いろいろな地域で反対や賛成の意見が交錯していたでしょう。

そんななか、経塚古墳の主は、いち早く静岡県地域の体制づくりに協力したものと思われます。交通の要所である県内の協力者は中央政権にとってありがたい存在であったことが推測されます。その感謝の気持ちとして鏡を送ったと考えられています。

経塚古墳に関しては本格的な発掘調査が行われましたが、稲荷山古墳、秋葉山古墳に関しては古墳のごく一部をのぞき見した程度の調査のため、今も地中には未知なるものが埋まっている可能性が高いです。歴史のロマンとパワーを感じながら古墳を散策してみてはいかがでしょうか。

三角縁唐草文帯四神四獣鏡について

明治19年の鉄道工事中に経塚古墳から古代の鏡が発見されました。

名前を「三角縁唐草文帯四神四獣鏡(さんかくぶち・からくさもんたい・ししんしじゅうきょう)」といいます。

鏡に穴が開いているのは工事中に作業員のツルハシが当たって発見されたからです。大きさは直径22㎝、重さ1053gです。現在の色は青サビ色ですが1700年前はピカピカの色でした。主な原料が銅であるため、時間とともに色が変色しました。ピカピカの新品の10円玉の色がだんだんと変わっていく原理と一緒です。

ツルツルの方が表面、色々な絵柄がついている方が裏面となります。

三角縁唐草文帯四神四獣鏡 表三角縁唐草文帯四神四獣鏡 裏

長く難しい名前ではありますが鏡の特徴を全て漢字で記したものです。

まず鏡の縁(ふち)を少し斜めからみると縁がとがっていて断面の形が三角形になっています。ゆえに「三角縁」

三角縁唐草文帯四神四獣鏡 三角縁

そして鏡の中心と外枠の真ん中あたりを唐草文(からくさもん)が帯状にまわっています。ゆえに「唐草文帯」

三角縁唐草文帯四神四獣鏡 唐草文帯

帯の内側には交互に4人の神様と4匹の獣が描かれています。ゆえに「四神四獣」。

神様は男性2人と女性2人。獣は龍2匹と虎2匹です。鏡に神様と獣の霊力が乗り移ることを期待して描かれたと考えられています。

三角縁唐草文帯四神四獣鏡 神 男性三角縁唐草文帯四神四獣鏡 神 女性 三角縁唐草文帯四神四獣鏡 獣 虎三角縁唐草文帯四神四獣鏡 獣 龍

全てをたすと「三角縁唐草文帯四神四獣鏡(さんかくぶち・からくさもんたい・ししんしじゅうきょう)」となります。

また唐草文帯の中には等間隔に4カ所、四角い印鑑のような模様があります。ここには「日月日日(ひつきひひ)という文字が描かれています。

三角縁唐草文帯四神四獣鏡 日月日日

このことからこの鏡の正式な名前は「日月日日銘 三角縁唐草文帯四神四獣鏡(ひつきひひめい・さんかくぶち・からくさもんたい・ししんしじゅうきょう)」となります。

それではこの鏡は何の為に使ったのでしょうか。現在の鏡のようにお化粧や身なりを確かめるためではなく、神聖な「祭」や「占い」あるいは「呪術」などに使われたと考えられています。また、そのほとんどが古墳の副葬品(死者にお供えされたもの)であることから「宝物」としての性格が強かったようです。この鏡と同じものが大阪府万年山古墳から見つかっています。大阪方面とここ磐田にはどんな関係があったのでしょう。いろいろと想像してみると面白いですね。