供養塔

平清盛、平重盛供養塔について

連城寺は1179年に平重盛(平安末期の武将平清盛の長男)が天台宗の寺院として建立したと伝えられています。

重盛の父親である清盛は、専制をもって強引に平家の政権を樹立したため、多くの人々から恨みをかったそうです。

これを知っていた息子の重盛はその報復を恐れ、また父親の恨みにより自分が死後地獄に落ちないように諸国に寺院を建立しました。

昔は父親が恨みをかえばその恨みは息子の代まで続くといわれており、父親が死後地獄に落ちれば自分も地獄に落ちると思われていました。

地獄に落ちないためには功徳を積む必要がありました。そのため仏教で地獄に落ちる条件の一つである殺生を繰り返す昔の武将は、晩年功徳を積むために僧侶になったり、寺院を建立する人が多かったそうです。なかには子供や兄弟を僧侶にするものもいたそうです。

連城寺の裏山(古墳)には、JRの線路と並行して山を登っていく坂があります。その坂を登ったところにある墓地最上段、中央より東寄りの歴代住職の墓地から更に階段で一段登った場所に平清盛と平重盛の供養塔(五輪塔)がひっそり二つ仲良く並んでいます。また、連城寺本堂の開山堂には平清盛と平重盛の法名(戒名)が刻まれた高さ60㎝にも及ぶ大きな位牌が安置されています。

平清盛の法名(戒名)は「祖父大政大臣平朝臣清盛公城海大居士」。

平重盛の法名(戒名)は「小松内大臣重盛公城連大居士」。

平清盛・平重盛 供養塔平清盛・平重盛 供養塔

平清盛・平重盛 位牌